アイデンティティー権とは
「アイデンティティー権」とは?
2016年2月、SNSで自分になりすまして情報発信をした人物を特定するために、ある男性がプロバイダー責任制限法に基づいて、情報開示を求めた訴訟があり、この判決の中で大阪地裁が「他人になりすまされない権利」を「アイデンティティー権」として認めました。
裁判長が「どのような場合に損害賠償の対象となるような成り済まし行為が行われたかを判断するのは容易ではなく、判断は慎重であるべきだ」と述べつつも、アイデンティティー権を「他人との関係で人格の同一性を持ち続ける権利だ」と定義する発言までしたことで注目を集めたニュースです。
現行の法律ではもともと名誉毀損や侮辱罪など個人を守る様々な法律はあります。
しかし、今回はなりすました人物が発信する情報のせいで他人から誤解されるなど、強い精神的苦痛を受けた場合は「名誉やプライバシー権とは別に、アイデンティティー権の侵害が問題となりうる」と明確に議論を促す発言があったことが新しかったのです。
なぜ罪に問えない「なりすまし」があるのか
なぜ単に名誉毀損やプライバシーの侵害で片付けられず、新しい権利として名前が出てきたのかという部分だけ、簡単に記したいと思います。
たとえば写真だけ盗用され、名前は雰囲気だけ似せたもので、特定の誰かを攻撃したり社会的に評価を陥れるような行為をしておらず、淡々と日常生活の様子をつぶやく。そんななりすましアカウントがあった場合、名誉毀損もプライバシーの侵害も肖像権の侵害もしていないということになります。
この裁判では写真はそもそも本人が先にインターネット上で公開したものなので肖像権の侵害とは言えない」とされました。
著作権の侵害にはならないのかという疑問は残りますが、実際に誰が撮影した写真であるかがわからないので残念ながら推測しようがありません。
この裁判ではどのような行為をしていたアカウントなのかわからないので、何とも言えませんが、上記に例としてあげたようなアカウントの場合、何の権利も侵害していないとはいえ、本人からするとただただ薄気味悪いものです。
いじめの一環としてなりすましアカウントを作成し、本人の知らないところで他人の悪口を書き込むなど、なりすましとは明らかに悪意を持って行う行為であることが一般的ですが、信じられないことに、実際に悪意がなく「実験の一環として行っているのだ」と正当性を主張するはた迷惑な人々が海外にはいたそうです。
なりすまし行為をやめさせるためにこのようなアカウントを罪に問うには、まず「なりすまし行為自体が違法なのか」という部分を突き詰めなければなりません。
そこで「なりすましをされない権利」というものが存在するかしないか、存在するとしたらどのような場合に権利が侵害されたと言えるのかについて、考えていかなければならないと提唱されたのです。
「なりすましをされない権利」というと限定的すぎるため「アイデンティティー権」と少し幅を広げた表現になりました。
残念ながらこちらの裁判では「平穏な日常生活を送ることが困難となるほどに精神的苦痛を受けたような場合」に該当しないとして、男性の訴えは棄却されてしまいましたが、すでに学生の間では悪ふざけやいじめ行為として、また芸能人に対する嫌がらせとしてもなりすまし行為は昔から多発しており、傷ついている人もたくさんいます。
今後さらになりすまし被害が増えるかどうかはわかりませんが、人を傷つけることを目的とする人にとって有用な手段であると思われている手法ですから、減少するということはないでしょう。
実名登録が原則のFacebookでさえ、身分証が必要なわけではありませんから、なりすましは横行しています。
アイデンティティー権が確立されるまでには、どうやってなりすましであることを証明するかなどの障害が想定されますが、アイデンティティー権が確立されることで多くの人が救われる可能性があります。
また、詐欺グループがSNSを監視した上で詐欺をしかけてくるという例も出てきているそうです。
このことから、単純なSNSアカウントのなりすましだけでなく、なりすまし行為を足がかりにした新たな形の犯罪、迷惑行為が出てくる危険性は捨てきれません。
正直に生きている人にとっては他人になりすますなんてバカバカしくて信じられない話かもしれませんが、あらゆる犯罪、迷惑行為の手法を思いつく人はいるものです。
オレオレ詐欺のように1つの手法が形を変えてどんどん進化していくことは充分考えられます。
企業も、たとえば役員やサービス開発者のなりすましアカウントが出現してしまった場合、そのアカウントの発信する内容によっては、なりすまされた本人だけの問題では済まない事態に陥ることもあるかもしれません。
法人も油断は禁物
先述の通りアイデンティティー権に関する問題は一見、個人間トラブルのものと思われるかもしれませんが、芸能人はすでに多数被害に遭っています。
貴社のビジネスに悪影響を及ぼすなりすましが今後出てこないとは言い切れません。
たとえば、まだ公式アカウントを作成していない会社になりすます人が現れたりすれば、社会的な混乱が生じるかもしれませんし、その間に風評被害を拡散されてしまう可能性もゼロではないでしょう。
この例は明らかに犯罪行為なので、発信者の情報開示がなされて逮捕まで多くの日数を要しないと考えられますが、いざ被害に遭った際に、「これだけ素早く対応できる社内体制が整っている」と自信を持って言えますか。
ネット上で問題が起こった際に、企業にはもちろん「そもそも問題を起こさないこと」が求められてはいますが、それ以上に「起こってしまった問題や巻き込まれてしまった問題についてどのように対処するか」という企業の「姿勢」に注目が集まるようになってきています。
日頃からあらゆるネットトラブルの情報を収集し、自社が巻き込まれた場合を想定して準備をしておくことが、ネットにおける最大の防御策となります。
参考サイト
●SNSで成り済まされない権利「アイデンティティー権」初認定 大阪地裁、被害防止へ前進(産経WEST):http://www.sankei.com/west/news/160610/wst1606100078-n1.html
●「Twitterなりすまし」との3カ月全面対決(東洋経済):http://toyokeizai.net/articles/-/161143